ブルーノプロデュースvol.6「カシオ」アフタートーク×広田淳一さん

広田淳一さん

1978年東京生まれ。2001年に劇団「ひょっとこ乱舞」を旗揚げ。以降、全作品で脚本・演出を担当し、しばしば出演する。

さりげない日常会話ときらび やかな詩的言語を駆使し、パワーとぬるさが入り混じった作品を発表。随所にクラッピングや群舞など音楽・ダンス的な要素も取り入れた、軽快かつファンタ ジックな舞台が若者の心をつかんでいる。

今年4月には単身ソウルに乗り込んで韓国人俳優との共同創作『ドン・ジュアン』を発表。来年3月には吉祥寺シア ターにて劇団公演を予定している。

受賞歴:日本演出者協会主催若手演出家コンクール2004最優秀演出家賞(『無題のム』)、2005年佐藤佐吉賞最優秀 演出賞・優秀作品(『旅がはてしない』)

橋本

ブルーノプロデュースの主宰の橋本です。

今日のゲストは、ひょっとこ乱舞主宰の広田さんです。よろしくお願いします。

広田

よろしくお願いします。

―初めてお会いするんですけど

橋本そうですね。はじめましてですね。
広田はじめましてですね。あまりにも背がでかくて、さっきびっくりしたんですけど
橋本190あります。

■向かいたいのは肯定

橋本じゃあ、早速―
広田

そうですね、なんていうか沢山、論じる点はあるというか、面白く拝見しました。

すごくいろいろなことを思ったんですけど。

あの、感想をこっちからバンバン言うっていうよりも、いろいろ質問をさせてもらいたいんですけど。あ、まあその中でいろいろ感想もいっていくと思うんですけど。

 

観てて、演劇的な賢さみたいなのをすごく感じたんです。

周りの人間が何をやってるか関係ないみないなことじゃなくて、いろいろな人がいろいろなことに取り組んできている演劇界の状況というものを、橋本さんなりにいろいろ考えて作ってらっしゃるのかなと思って拝見していたんですけど。

これは橋本さんが個人的に信じられなくなったことばかりじゃないと思うんですけど、信じてないこと。

今までの古い演劇は信じていたけど、橋本さんは信じていないことがいっぱいあるなと思って。

例えば役名を信じていないのかなと思って、個人名で、あれは皆さんの本名で―

橋本本名ですね。
広田

本名で喋るとか、一人一役を演じないとか、お姉さんがどんどん変わるとかもそうだし、わんわん泣いてた子が急に「さて今日は何を買おうかな」って言うみたいな(笑)。感情を信じないみたいな。

いろんなことに対しての橋本さんの疑いの目みたいなものをすごく感じたんですけど、どうなんですかその辺りは?

橋本演劇を作らないと全て肯定から入るんですけど―
広田演劇を作らないと?
橋本

普段の、プライベートとか。

でも作品を作っていると基本的には否定から入ってきて。否定が結構モチベーションにあって、だから何かを否定してから肯定に向かいたいっていうのがあって。

例えば冒頭の「サンタクロースはいない」っていうくだりは、あれはサンタクロースの否定から始まって、「雪は食べられない」っていう否定から始まって、「じゃあどうしよう」みたいなことを結構考えてて。

なにか現実とか、元々あるものを否定することから肯定に向かうことで、ちょっとしたファンタジーというか、ちょっと表現になるというか。

広田向かいたいのは肯定っていうのはすごくよくわかります。
橋本

肯定なんですよ。

でも始まりが今回否定から始まっていて、そういうことを今まで自覚的にやっていなかったので今回凄くそれを感じますね。否定っていうものを。

広田今回は再演っていうことですけど
橋本そうですね。
広田 でも初演とは違うんですね。
橋本

全然違いますね。

初演はサブテレニアンっていう、大山駅にあるブラックボックスの、真黒い空間でやりました。

広田ここ真っ白ですね
橋本

真っ白ですね(笑)

下にマスが書いてあって、原稿用紙とかいろんなものに見えたらいいなっていうマスで。そこを歩いたりとか、食卓になったりっていうことをやっていて。

あともうちょっと、俳優さんたちに作文を書いてもらってから、僕なりの物語化をして、それをストーリーにしてた部分があって。

初演は一人のいじめられっ子の男の子のお父さんが死んじゃって、悲しんでいるところに雪が降って、それが雪だるまに、まあ再演でもあるユキオっていうそれがお父さんの生まれ変わりだったりして。

で最後溶けちゃう時に

「メリークリスマス!」

「おとうさーん!」

みたいな。

広田あれそうだったんですね。じゃあ全然違うじゃないですか(笑)
橋本全然もう(笑)
広田 そうだったんですか、じゃあユキオがもっとどーんと。
橋本

どーんと。ユキオといじめられっ子の成長譚みたいな。


■雪とうんこの断片

広田 今日拝見したのは一つの大きな物語の軸というものよりも、それこそ否定じゃないですけど、断片で繋いでいる気がしたんですが。
橋本そうですね。
広田

初演からそうだったのかなって思って。初演は違ったんですね。

橋本

初演はもともとそういうものが(ありました)。今回は出来るだけ繋げずに。

軸は―前説というか、時間の流れっていうか、演劇が始まった瞬間に終わりに向かっていくっていうのに結構興味があって。

小学生っていうものを考えた時に、「はじまりと終わり」っていうのが結構大きなキーワードになっていて、はじまりも多いけど終わることも多いなって。例えば小学校の時に「運動が下手」って思ったらもうそこでやらなかったり、することもある。

広田

終わりの瞬間面白かったですね。何度も繰り返していて、「あと何分で終わります」みたいな。

なんとなくあーこういう風にくるのかな、最後は「今終わります」っていう風になるのかなって思って観ていたら「もう終わりました」っていう(笑)。過去形で言われたのにちょっとやられたなっていう感じがして。

終わる瞬間ってのをやるのかなって待ち構えてしまったんですけど。

そこは過ぎてしまうっていうのは何かあったんですか?

橋本基本的には、断片で見せるっていうことにもたぶん繋がっていく話なんですけど、あまりお客さんに前のシーンを記憶させたくないっていうのが―
広田記憶させたくない?
橋本

現象として、過ぎ去っていくっていう。

高速道路とか車で走っていて、どんどん風景が自分の横を通り過ぎていく、みたいな感覚を、現象を、記憶を取り扱っているので、この劇場全体の空間で、起こすっていうか。

別にそれだけが目的じゃないんですけど、そういうのが忘れられてどんどん後ろに行っていくていう。

どんどん前のシーンが後ろに、積み重ならないっていうのを。

だから「もう終わりました」って言った瞬間にわーって(過ぎ去っていく)。

じゃあ残ったものは、今って、なんだろうって話になる。じゃあ今自分はどこにいるんだろうとか、この空間ってなんだろう、みたいな。ことを考えられたらなっていうことがあって。

広田なるほどね。
橋本盛り上がる寸前でそれが止まってゼロにしていく、っていう。
広田

盛り上がる寸前で止まってゼロにしていく。

自分で盛り上げといて(笑)

橋本さーって。
広田ああそうなんだ。
橋本だから照明も最初のシーンとかめまぐるしく変わって。
広田めまぐるしかったですね音響照明は。
橋本

いちいち忘れさせていくっていうか。でも、観ていて忘れられないことってあって。じゃあ残ったものってなんだろうって。

お客さんの中で、じゃあいま何を、どういう風に、観ているんだろうって。

だから、 本当に今回の作品をどういう風に見られているのかが全く分からなくて(笑)。

そういう意味でもこちらから質問を返すんですけど、どういう感じで?

広田

(笑)。

おじさんにはやれないなっていう感じでしたね(笑)。当たり前なんですけど。

かわいらしい女の子たちだから居られることっていうのは。それは別に悪い意味じゃなくて。

そういう意味で正しく若いなっていう風に思いました。

あれをだってね、ヒゲ面のおっさんばっかりでやったらね。唱和するところを、みんなで声合わせて、おじさんがやってたらちょっと許されないことだなみたいな、ってのを思いました。

橋本 今回も、そうです。ちょっと、女の子たちはいいんですけど、男が結構―
広田そうそう若干厳しかった(笑)
橋本 若干厳しくて(笑)。どうしようって思って、成り立たない、みたいに思って。
雪の話をしてるので、あんまりきれいすぎると、きれいじゃない人たちが―
広田(笑)はじき出されてしまう、みたいな。
橋本

そこに嘘はつきたくないなっていうのが。できるだけちょっと、「うんこ」みたいな。

雪とうんこを今回モチーフにしてっていうところがあって。

広田はいはい。
橋本 だから男の俳優は―劇団員なんですけど、二人しかいないんですけど、うんこ担当で。残りが「雪」。
広田

あーなるほどそういう意味だったんですか(笑)。

なにか男性に恨みが?

橋本

そういうことではないんですけど(笑)。

だからあまり(男)二人を完全にきれいなことにさせたくないなって、きれいなことをした二人を、別に(観たくない)。舞台上で死んでるんじゃんって見えて。

広田 あー!だから肩車して、彼女の股間に、うんこが(笑)
橋本それは(笑)
広田それはちょっと違う?
橋本でもそう見ていただければとても嬉しいです。
広田なるほどなるほど。
橋本一見きれいな作品、みたいな、(空間を)真っ白にしたんでそのバランス感覚というか、あまりきれいすぎても。きれいな話をやりたいわけではなくて―
広田いやきれいな話をやりたいんだと思いますよ。
橋本あぁ
広田

それは別に悪いことじゃないんじゃないんですか?こんなきれいなもの見せられてきれいな話はやりたくないって言われると。

いいですよ。きれいでしたよ。

橋本そうですか。その葛藤が「うんこ」なんですけど
広田あーちょっと汚いものも出してやろうって、食べられる「うんこ」みたいな感じはしましたね(笑)
橋本「うんこ」のことばっかり言って(笑)
広田

「うんこ」ばっかり言ってますけど(笑)。

でもそれはなんか思ったことですね。

僕なんかの世代とかもうちょっと上の世代とかだと、演劇ってどす黒いものを黒光りさせるみたいなことに、みんなで一生懸命になっていた時期あるなって。

例えば松尾スズキさんの作品なんかにしてもそうだろうし、もっと古く考えれば唐十郎さんなんかの作品にしてもそうだったろうって思うんですけど。

自分の暗部であったり、表に出せないような犯罪者の心理であったりとかっていう、そういう汚くてグロいものを、磨きをかけてきれいにして、それを作品にする。これが演劇だ、っていうことがなんとなく思いとして有ったと思うんだけど。

やっぱりここ最近、日常の中から輝くきれいな小石を拾ってきて「こんな石もあるよ」みたいなことをする若い世代が増えてきてますよね。

そういう感性はなかったので―まあないこともないんでしょうけど、それは世代的な波を感じますね。

そういうのは感じてるんですか?

橋本そう、ですね。
広田

知らない方にはちょっとアレかもしれないんですけど、「ままごと」とかも観ても、ある種の潔癖さっていうのがあるじゃないですか。「ジブリに出てくる登場人物はうんこしない」じゃないんですけど、またうんこに戻っちゃいましたけど(笑)。

そういう潔癖さみたいなものはあるなって思って。昔の演劇はそれこそ汚いもの汚いものに突き進まなきゃいけないみたいな、ある種の、強迫観念だったと思うんですけど、なんかきれいなものを描こうとしているっていう。

気恥ずかしいっていう思いがあったんですよ。きれいすぎて気恥ずかしいみたいな。それを感じてるのかなあって思って。

橋本

もともときれいな話をしたいっていうところから始まったわけではなくて。

ちょっと話がずれるかもしれないですが、記憶についてとにかくやりたいなっていうのがあって。俳優たちの「記憶を話す」っていうことをベースに。

結構感情的だったり、自分の心の中のことを出す際に、少しでもそれに寄っちゃうと、自分の心情の吐露みたいなことに傾きやすくて、その調整をしていった結果が、きれいな印象があるのかなっていうのがあって。

でもあまり抵抗はないですね。こういう些細なことをやるとか、きれいなことをやることに対しての負荷はほとんどないです。

むしろ信じたい、みたいなのが。否定から始まって(肯定へ)。


■信じたいもの

広田

信じたいもの、っていうのはすごく今訊きたいなって思ってたんですけど。

例えばお話している最中に急に爆音がかかったりして、熱心に聴いていると聞かせてもらえなかったりするじゃないですか。

で、泣いている彼女に感情移入していると「さーて買い物に行こう」みたいな裏切りがあったりして。

橋本さんの中で「これは信じられる」って思っているものは?「きれいさ」って今おっしゃったところで。

それをすごく訊きたい。

橋本俳優たちしか信じられない。俳優―は信じられる。
広田

俳優の―

俳優っていっても人間的に信用できない奴とかいるでしょ(笑)

橋本(笑)でも今回は、全員信用できる。
広田ほんとですか?
橋本全員信用したつもりでいれるっていうか。そんなプライベートまではわかんないですけど。
広田

そうですよね。

俳優の何を信じてらっしゃいます?

橋本なんだろう。この人に、こういうことをやらせたらつまんない、
広田 んー!?つまんない?
橋本

つまんないから、これは絶対やったらこの人は死ぬなっていうところから。

だから否定なんですけど。

広田逆にこれをやったら輝くなってことですね。
橋本

これはやらせたくない、がすごく大きくて。

ブルーノプロデュースっていう団体自体、稽古でいろいろ試して―

広田いろいろ試している感じはしましたね。
橋本

この作品も最初は五月から月2回くらいのペースで稽古していて。

本番近くなったら、週一で毎回ある一つのルールで、例えば絵描き歌なら絵描き歌っていうルールのもとで一つ作品を作ろうっていうのを5バージョンくらい作った時があって。

なにかを早めに決めてそれを鍛錬していって、鍛錬した結果のものを観たいっていうわけじゃなくて。

広田あれやこれやで試している感じはすごくしましたね。
橋本

鍛錬してもこの人がやったら面白くないものは面白くないっていうのがわかった瞬間に鍛錬しないというか。

勿論ちゃんと練習しないとできないことはきちんと練習するんですけど。きっかけとか。

広田例えばなんかあったんですか。彼にこれをやらせたら「これはつまらん」とか。観たくないみたいな。
橋本なんかあったかな。
広田「こんな(平舘)宏大は観たくない」みたいな。
橋本

あ、宏大(笑)。

赤いパーカー着ててユキオをやってた人です。

広田肩車の下にいた彼ね。
橋本 なかなか彼にマイムをやらせたくなく― うん、マイムはギリギリで(笑)
広田パントマイム(笑)
橋本最初はがっちゃん、学級委員―金谷奈緒さんとのシーンを、普通に、会話でやってたんですよ。
広田あーはいはい。
橋本でも、つまんねえなあって。
広田二人とも正面を向いて最後の告白のシーンとかやったり。
橋本それとか途中から相手を見なくなったりして。別に宏大の会話は観たくないなって。
広田(笑)それは面白くなかったんですね。
橋本そうですね。なんかあんまり信じられなくて、そこは。
広田前向いてたほうが(よかった)。
橋本

「やってる」感がすごくあって。

逆にメガネのスズキヨウヘイは―最後のダイダラボウとか、会話は聴きたいんですけど、宏大はあんまり聴きたくなくて。肉体的なことをさせたくて。

みたいな、ことですかね。具体的に。

広田

肉体は酷使してましたね。

でもあんなに重そうにしたら彼女がすごく重いみたいに(笑)。失礼だって。

橋本あー。
広田そんなことはない?
橋本

あれも急遽なんですよね。

初演は僕も出てて、僕があの役(ユキオ)をやっていたんですけど。

広田あーそうなんだ。
橋本 あれも本番前日?当日?
広田当日?
橋本

当日の、ゲネ前に、「あー、肩車、して」って言って。やってみたらまあ面白くて。

広田 じゃあ結構皆さん(俳優)はこいつ(橋本)何言ってんだって。急に何言ってんだ?って。
橋本でも基本的に「何言ってんだ」なので。コロコロ変わるんで。
広田なるほど。
橋本 「またなんか言ってる」みたいな(笑)
広田

(笑)でもそうですよね。こういう試行錯誤を繰り返してみたいなことじゃないとああいうのはできないですもんね。

なんか一人一役を信じない、みたいな感じがすごくあったんですけど、あれはどういう感じなんですか?妹とかお姉さんが交代していくっていうのは。

橋本

あれは記憶が巡るとか、回想しようとして何かパーツを組み合わせるんだけど、そのパーツは絶対正しいパーツじゃなくて、どっか外れてて。

さらにそのパーツをやる人間も正しくなかったら、もう記憶は(正しくない)。

うまく記憶が再生されないというか。ここで起こっていることが嘘というか。

広田嘘。
橋本家族の思い出をやるんですけど、途中で「こういうことは本当はしません」とか。
広田そうですね、言ってましたね。
橋本

勝手に記憶が美化されたりとか暴走したりとかするのを、やりたくて。「巡る」とかそういう意味合いで。

あと今回は「拡大と縮小」みたいなのがテーマで。

拡がったり閉じたりとか、ここに立っていて泣いている人がダイダラボウに見えたりとか、肩車が東京タワーに見えたりとか、ゴジラのシーンでも、足を踏んだらそこが街に見えたりとか。平衡感覚を無くしたくて。

記憶も頭の中で思い返すと平衡感覚がぐちゃぐちゃだったりするのかなっていうのがあって。

広田

拡大っていうのはすごく思いましたね。

そもそも彼女が泣くくだりに至るところが彼女の話ではなかったですからね。その相手役の子が「泣きました」みたいなのを言って。

橋本悲しみを引き受けたっていう―
広田(相手役の)彼女の悲しみを。
橋本

引き受けて、彼女は笑う。吸収するっていう。

一人の身体に、歴史が吸収されるとか、また拡がる、みたいな。ってのが舞台で起こる。

基本的にブルーノプロデュースは建てこまなくて。

広田舞台装置も信じない感じですね。
橋本予算の関係とかもあるんですけど(笑)
広田言わなくていいのよそんなこと(笑)
橋本

内緒でお願いします(笑)

だから、人間の身体を使ってどこまで錯覚を起こすかみたいなところにも興味が。お客さんとの間で。

だから「拡大と縮小」とかして。

広田

でもやっぱり投げてるんだと思いますよ。

変な話、小道具出そうと思えばこれ(ペットボトル)だって小道具になるわけじゃないですか。

橋本

小道具も(出すことを)考えたんですけど、やっぱり無いほうがいいかなって。

広田 そういう意味でも俳優の身体を信じたいってことなんでしょうね。
橋本

そうですね。

この白い舞台に一人が立っているだけですごく情報があるので。

あまり他のものを入れたくなかったっていうのが。


■人がいることの負荷

広田 俳優としてはちょっとしんどい場ですよね。逃げ場が無い。逃げも隠れもできない。
橋本そうなんですよね。
広田

そういうある種の負荷を俳優に負荷をかけていくっていうのは、ある程度信じているのかなって思ったんですけど。

例えばそれとかも近年いろんな人が注目していると思うんですよ。本当にダッシュを全力でさせて、そのあと息が切れた状態でお話をしてどうなるかとか、あると思うんですけど。

それすら信じていない風なところもあったような気がするんですよ。

それというのは―これはどっちなのかわかんないんですけど―宏大君が肩車しているときに、あれは盛っているんじゃないかと思って。ほんとにしれっと我慢しようと思えば多分もうちょっと我慢できたはず。そんなに重くないでしょ彼女は?(笑)

橋本(笑)
広田

だってものすごいしんどそうだったじゃないですか。だからちょっと、実際のしんどいよりちょっと盛ってるんだろうなと思って。

泣き疲れてわーって笑っちゃうとかっていうのも、泣き疲れた身体を全面的に信じるんじゃなくて、それさえも捨てちゃうっていう感じがあったんですけど。

突き詰めていくと身体自身もなんか疑わしい面が出てきたみたいなのはあるんですかね?

橋本負荷に関しては、僕はもう一つ、東京デスロックっていうところの劇団員で―
広田 そうかデスロック。
橋本

その演出助手をやっていて。ちょうど「カシオ」の初演のときに入団して。

デスロックの一つの方法がすごく身体を酷使して。ひと二人を背負いながら「だるまさんがころんだ」をしてセリフを言うみたいなのが、すごい好きで。観るのもやるのも。ついついそっちにいっちゃいがちで。

今回負荷をやるのにどういう負荷を出そうみたいなのがあって。

だから「人がただここにいることが負荷になる」っていう負荷は、信じていて。あまり直接身体を酷使するっていう負荷じゃない負荷をいろいろ試行錯誤、しました。

広田

本名っていうのもある種の負荷ですよね。

伊比井(香織)さんなんがが喋っていた時もものすごい素のトーンで、「日常会話ですよ」みたいに喋るから、ある種演劇的な、この役を演じてるんですよっていう言い訳の効かない状態で本人も立っている。っていうのは結構大きな負荷なんだろうなって。

橋本俳優が「どう立っていいかわかんない」っていうのがあって
広田本人が言っているのは全部本当なんですか?
橋本本当―ですね。
広田それは嘘はないんですか?
橋本

嘘はないです。基本的にそういうことはしないです。

人と作文の(組み合わせは)入れ替えはあるんですけど、ペットの思い出とか。

あれはもともと宏大の思い出を別の人が話して。

基本的にはあの場で喋っていることは全部本当っていう前提でこちらではやっているんですけど、観ている人が「これは嘘かもしれない」っていうスタンスで観るか「ほんとかもしれない」っていうスタンスで観るかっていうことはこちらでは決めずに。お客さんが選ぶというか。

観ている途中に「これ嘘なんじゃないか」思う人と「本当だ」って最後まで信じている人によってこの作品の楽しみ方というか捉え方は変わっていく。

そういうのがいいなって。観劇体験において。

広田お客さんに委ねるっていう部分を多くしたいっていうのは結構あるんでしょうね。
橋本そうですね。
広田

それを多くしたいっていうのはすごく感じましたね。

委ねてくるなっていう感じは結構しましたね。

橋本(笑)
広田

だから多分、観る方もある種の教養が要求されますよね。

そういうつもりはないんでしょうけど、ぱっと観ると「ようわからん」といえばようわからん。

普通に映画みたいな、まっすぐ流れていくストーリーみたいなものを観ようと思って観るとそれは結構な勢いではぐらかされてしまうから、難しかったりすると思うんですけど。そういうところはあるんでしょうね。


■「します」と「やります」

広田

最近で言えば、これは意外と思いきったなっていう。作り手的に。

僕も作り手なのでビビってやれないのが、「今からこれをやりまーす」っていうのは僕はやれない(笑)

橋本ちょっと、それはしばらく悩みました。
広田

あれはチェルフィッチュっていう劇団が一時期それをすごくやってて、あれ凄く印象に残るじゃないですか。

稽古場とかでもつい役者同士でモノマネをやってしまうくらい。

「今からチェルフィッチュのモノマネをしまーす」みたいな。

橋本より複雑に(笑)
広田

そういうのが流行るくらいの、ある種のキャッチーさがあるから、あれをやるのは怖いなっていう気持ちがあるんですけど。

あれをやられちゃった後で、あそこに至る回路っていうのはすごく分かるんですよ。

その辺ってどう整理されてます?

橋本

あれだけだったら、やれなかったと思うんですよ。

ただ、前説で「今から始めます」って言っているからその流れで「やります」っていうのはアリかなっていう。何かを始めるっていうのを言語で示す、ってことにしてなんとか出来たシーンっていうか。

「やります」って言ってもいいな、っていうのが自分の中であります。

広田

李そじんさんがお話をしている時に、引越しの話を

―普通の日本語的な解釈で言えば「今から2回目の引越しの話を、します」

というところだと思うんですけど、「やります」と言っていたところというのは、どういう意図があって?

橋本あれは「やります」って言うと演じようとするというか、人がバーっと出てきて何かをやるのかなっていう―
広田それまではそうでしたよね?
橋本

そういうのを全部一人で、「やります」って言っているのに結局全部一人で話すみたいな。

一回拡大をさせようとして縮小で、結局一人で全部話す責任を担うっていうことにしたくて。

広田なるほどなるほど。
橋本だから、じゃあ自分で話すみたいな、現象のようなものを。
広田

彼女の中で声色を作るみたいな選択肢もあったとは思うんですよ。

その当時の「私は今から引っ越します」みたいな、その当時の少女になった、つもりで、演じることを、「やります」って言うからにはやるのかなって。

橋本しないですね。
広田

移動もするしね。移動したのにまだやってる。

これは、っていうのはありましたね。

それは彼女の中で一旦「やります」って言って拡大したものをもう一回縮小して引き受けていることなんですかね。

橋本

そうですね。あと、ずっとトーンは同じなんですけど、「やります」って聴いたときにお客さんの中でその風景がどこまで立ち上がるか。「やります」って言って、でも淡々としている。

ただの情報じゃないですか。記憶ではなくて記録として言ってもらっていて。

その中で観ていてお客さんの中で拡がるのか拡がらないのか、というのが。

「やります」って言って声色を変えるとかはあまり。普通の回想シーンみたいなのがあまり好きじゃなくて。

広田そういう裏切りは随所にありましたね。
橋本「します」よりも「やります」のほうが自分の中で受け入れやすい。
広田

橋本さん的に今回、いろんなチャレンジをしている方なんだなっていうのは観てて思ったんですが、ああでもないこうでもないといろいろ試していらっしゃる。

その中で、勿論自分の中でヒットもあれば、これはイマイチかなっていうのもあったと思うんですが、自分的にこの後こういう方向に伸ばしていきたいっていうのはあるんですか?

 

 

― すみません、時間のほうが。

 

広田あ、もう(笑)
橋本

今度12月に王子小劇場でクリスマスの時期に次回公演をやるんですけど。

今は記憶を大きくした瞬間に小さくしたりする作業をしていたので、じゃあ今度は振り切ったら、大きくしまくったらどうなるか、物語にしたらどうなるか、色とか形をつけたらどうなるかっていうので。まったく真逆のことをしてみようかなっていう。

そこで見えるものとか、感じるものはどうなのか、っていうのが気になっています。

広田 今回のお芝居の中で言えば、こういう方向を伸ばしていきたいみたいなのは?
橋本

最後のダイダラボッチとかユキオ周りの壮大さみたいなので作るというか。

前半シーンよりも後半シーンみたいな手触りで作ってみたらどうなるか、というのにチャレンジするというような。

広田ちょっと大風呂敷を―
橋本広げて、どこまでそれがいけるのかみたいなことに興味ありますね。
広田それ面白いですね。またパワーがね、必要になってきますね。
橋本そうですね。パワーって、なんだろう。
広田(笑)
橋本広田さんの次回、近々のご予定を。
広田

来年三月に吉祥寺シアターで公演をやりますんで。ひょっとこ乱舞最終公演ってことで。よろしければぜひ。

橋本

では本日のゲストは広田淳一さんでした。

本日は最後までありがとうございました。

広田さんの主宰する、ひょっとこ乱舞の公演があります。

ひょっとこ乱舞 第25回公演
『うれしい悲鳴』
2012年3月3日(土)~11日(日)@吉祥寺シアター
作・演出 広田淳一
出演 中村早香 笠井里美 松下仁 根岸絵美  田中美甫  渡邉圭介 糸山和則 広田淳一 ほか

詳しくはひょっとこ乱舞HPで。