三浦 | 最初に訊きたかったんだけど、この≪ドキュメンタリーシリーズ≫っていうのはこれの前の作品から始めたの?
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橋本 | そうです。ちょうど二か月前にSTスポットっていう横浜にある劇場で上演した『カシオ』という作品で始めたシリーズで、その『カシオ』は俳優たちの小学生の頃の生活作文を使って演劇にするっていうもので。僕がもう台本が書けなくなっちゃって、じゃあ代わりにいろんな人の話を聞いてそれを演劇にできたらなと思って。今回がその第二弾ですね。
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三浦 | その前までは原作ものとかをやってたんだよね?
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橋本 | そうです。その前は北村薫さんっていう小説家の小説を原作にしてやったり、あと写真家の小林紀晴さんの書いた小説、あと漫画家の松本大洋さんが黒テントに書き下ろした、それはもう戯曲なんですけど―をやったりしてました。
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三浦 | それがなんでこういう≪ドキュメンタリーシリーズ≫っていうものをやるように変わっていったの?
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橋本 | これまでに色々なものを自分があまりインプットしてこなくて、ガソリンが切れたというか、今までインプットしていたものがなくなっちゃったんです。それで、どうしようかなっていう時に、人の話を聞くことが本当に面白かったんで、これからはそれしかないなって。だから、同時に自分の主体性をなくしていこうってことにもなっていって、台本を書いていた頃は、自分のやりたいものが最初からあった状態で稽古をスタートしてたんですけど、今は、自分とは距離のあるものを取り扱って何かできたらなっていうのがあります。
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三浦 | どういう風に作っていったんだろうなっていうことをすごく考えながら観たんだよね。まったく終着点とかないわけでしょ?
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橋本 | そうですね。
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三浦 | 「こういう感じにします」みたいなことは最初に打ち出すの?
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橋本 | ざっくりと、例えば今回で言えば、「死について扱いたいかも」みたいな、そういう話はします。でもオチとか終着点とかそういう話は全然しないですね。僕自身稽古はじめでどこに行くか分からないですし、だから、どこでも終わらせられるものがいいなって思い始めてもいます。
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三浦 | そうなんだ。あれがね、良かった、野球。やっぱ野球のシーンって俺好きなんだなっていう。自分の芝居でも、気づくと野球のシーンになってたりとかよくあるんだけど。 |
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橋本 | スーパーボールも過去に一回使ったことがあって。その、北村薫さんの『ひとがた流し』のときに。もう一度、もっと沢山使ってみたいなっていうのがあって、実現しました。
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三浦 |
俺、スーパーボールが飛び込んできた瞬間に、全然違ったんだけど、スーパーボールって言うと出てくる記憶がね、ドラマの「ロングバケーション」なんだよね。あれのシーンがスーパーボールが大量に出てきただけで浮かんでくる。木村拓哉と、あと、誰だっけ?
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橋本 | ……それも観てないです。
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三浦 | (笑)俺の個人的な記憶がね。それが思い出されて、それでどんどんどんどん感動していった。勝手に。
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橋本 | 嬉しいです。こういう囲み舞台の作りをしているので、一個舞台上にモノが出てきたり、存在してるだけで相当その情報が大きくなると思って。人によっては全く価値がなかったりするんですけど、人によっては舞台上のモノがその人の記憶を呼び出すスイッチみたいになれたらなと。
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三浦 | そうそうそう。こう、「がー」っていう物語がないからさ、観ていて勝手にどんどん自分の記憶とかに重ねていったり重ならなかったりみたいな作業をしながら観ていて。ここまでは懐かしいけどここから全然分かんない、みたいな。退屈しないで観れたなっていう感じです。
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橋本 | ありがとうございます。
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三浦 | あとこれってさ、役者さんに話させるわけ?
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橋本 | はい。
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三浦 | 話してて、それをそのまんま舞台上でやるわけ?
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橋本 | 一回話したものを、何百個っていろいろ話をしてもらったものを、(自分が)選んで配置しています。あとはそれをどういう状態、どういう形で発表するかを考えます。原型はなるべく保とうというか。けど結局、結構ファンタジーの多い芝居にはなったんですけど。
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三浦 | うんうん。
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橋本 | けど、そのファンタジーの要素も僕が書くっていうことはほとんど無くて。妄想として俳優たちに語ってもらいました。基本的には稽古で即興でやってもらったものをそのまま作品に持ち込んでます。
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三浦 |
最初のほうがさ、お客さんに語りかけ口調で話すじゃん。あの感じは、なんて言えばいいのかな、俺苦手なんだなって思った。その語りかける感じ、「なになにでー」みたいな喋り方が、単純に役者さんに目を向けられると恥ずかしいみたいなのがあって、俺が目を逸らしちゃったりするんだけど、それはなんでなんだろうって考えてて。そうじゃない瞬間もあったんだけど、「自然っぽく居てください」っていう時に、この舞台上で、こんなに沢山の人に観られている中で自然っぽく居るっていうのが、逆に嘘臭く見えちゃう瞬間があって、その時の嘘の隠蔽の仕方みたいなものに、たまに「引いちゃう」みたいな瞬間が俺にはあっりしたけど。それはどう?
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橋本 | これだけ観られているので、舞台上の俳優たちの自意識のパーセントを上げたいなと思ったんです。だから例えば、自分の記憶――元々色とか感情が付いていたりするものを――自然に話すっていうことを成り立たせるのは、お客さんの「観ている」って力なのかなって思ったんです。「観られているから、俳優が自然に喋ろうとする、嘘」」にも見えたら面白いし、それとは関係なく「その場にお客さんがいるから」っていうのが喋る動機になっていてもいいし、色々あります。
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三浦 |
あの時って、清くん的には自然に立ってほしいの?まあ、自然ってなんだって話になるんだけど。
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橋本 | たぶん自然、生っぽくっていうか、お客さんと同じ状態、お客さんがちょっと動いたりするのと同じ状態でいてほしい、ですね。
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三浦 | ここでこう俺が清くんに対して話しているような感じで、っていうことだよね。
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橋本 | そうですね。 |
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三浦 |
なんでなんだろうな。昔は俺そんなこと思わなかったんだろうけど、今日観ていて、俺が感じるこのこっぱずかしさはなんだって思った。全然感じない人もいるんだろうけど、俺は感じちゃってるなっていうのが、結構自分でびっくりして。だから新劇とかを今観たりすると楽しいのかもしれないと思った。だから、似てるなって。最初お芝居を観たときに「前向いてセリフを見得切って喋る」ってのに感じるこっぱずかしさに似たこっぱずかしさを、ちょっと感じたの。でも役者さんによってはそれを全然感じない人もいたから、それを考えながら観ちゃった。
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橋本 | 俳優たちには細かくは指定はしていないですね。人によって観られ方・立ち方が違ったほうがいいのかなっていうのがあって。
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三浦 | 今観られているっていうことに対する反応はしてほしいの?
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橋本 | それに関してはちょっとまだ悩んでいます。バランスというか、どこまで自意識過剰を表現として出すかというか。観られているだけでも自意識はあると僕は思ってるんですけど、っていう状態で、それを誇張して出すのはいいのかどうかっていうのを今うじうじ悩んでいます。
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三浦 | ドキュメンタリーって言葉がさ、すごいいいなって思った。まあ突き詰めていくとドキュメンタリーじゃないわけじゃん、どこかしらには嘘があって。うまく言葉にできないな、もっとうまい言い方があるといいんだけど。こう、終盤、どんどんどんどん誰かの言葉によって湾曲していくじゃん。ねじ曲がってどんどん脱線していくっていう。ああいうの俺本当に大好きで。俺が思ったのは、大好きな作家でレイナルド・アレナスっていう南米の作家さんがいるんだけど。その人の『めくるめく世界』っていう小説が、「事実はこうであった」っていうのと、「事実はこうだったかもしれない」っていうのと「事実はこうであったらいいのに」っていう三つで物語を語っていくの。本当に大好きなんだよその感じが。観ていてそれに似たような感動があったんだよね、終盤で。誰かの「こうであったらいいのにな」っていう思いとか、でもこうならないとか。そういうものがどんどんどんどん交錯していく感じ、交錯してどんどんどんどん脱線してっちゃうみたいな感じとかが、よかったな。
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橋本 | ありがとうございます。≪ドキュメンタリーシリーズ≫の第一弾の『カシオ』という作品は、記憶を記憶のまま舞台上に存在させるっていうスタンスだったんですけど、今回はどこまで記憶を、もてあそぶ、じゃないんですけど、記憶に色をつけたり意図をこめたりする、そうすることでどうなるかっていう。
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三浦 | それがよかったんだな。今回みたく、自分の記憶、自分の中学の頃思い出しながら見てたのって、珍しいんだけど。だからむしろロンバケとか野球とか、偽者の記憶とかっていうほうが、凄い自分のフックに合うんだけど、そういう意味で俺中学何やってたのかなって思いながら観るのは珍しいなぁって。だからその、記憶をそのままどんなに舞台上でそのままあげようとしたってさ、脚色されちゃってるわけじゃん。脚色してますよっていう風にちゃんと舞台上に上げてるのが気持ちよかったんだな。だから、「これは本物です」じゃなくて、「これは偽者の記憶ですよ」っていうような感じで上げられてる、それですんなり入っていけたような気はしますね。 |
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三浦 | 次も≪ドキュメンタリーシリーズ≫?
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橋本 | そうですね。しばらく空いちゃうんですけど夏ごろに。風邪とか、そういう「病気」についてやりたいなって思ってます。
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三浦 | ディストピア的な?荒廃した世界?
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橋本 | えっと、どっちかっていうと、人が舞台上で苦しむっていうのをやってみたくて。例えば、「今、僕は病気にかかってます」って言った時に、本当にその病気が舞台上で立ち上がるのかっていうのを次では考えたいんです。あと舞台上で「回復」はできるのかっていうのも併せてやってみたいです。例えば寝不足が治るっていうのを、作り事のこの箱の中でできるのかっていう。
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三浦 | ああ。
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橋本 | 痛みの蓄積っていうものを――それらを成り立たせるための方法の一つが、身体に負荷をかけて役者の身体を疲弊させて、目の前の肉体を浮かび上がらせるっていうのがあると思うんです。その現象で、死や苦しみを表すって方法があると思うんです。けど、そういうことはこれまでに色々な人が素晴らしくもう作品の中で実現させていて……。
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三浦 | 病気が見える、見えないっていうのは俺もあって。俺、アトピー持ちなんだけど。アトピーって凄い特殊じゃん。見えない。で、俺すごい落ち込んだり、精神に支障がきたし始めると、どんどんアトピーがひどくなってくるの。そうすると皆は、分かりやすくアトピーが広がってるのが分かるから、すごい心配してくれるの。けど風邪とかっていうのはそうはならないじゃん。「この人、気分悪そうにしてるなぁ」っていう感じで。
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橋本 | はい。
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三浦 | 一昨日、友達が家に遊びに来てて、ずっと遊んでたんだけど、突然それまで普通に楽しく遊んでたのに、ばたんって倒れたの。で、気失って。救急車呼んで、病院に行ったんだけど、全然原因不明で、普通に戻されてきたの。とか。
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橋本 | え、大丈夫だったんですか。
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三浦 | いや、連絡は取れてるんだけど。一体そいつの身になにが起こったのかが誰も分からなくて。
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橋本 | 病気に共感する/しないって、一つの題材になると思うんですよ。題材って言葉を使うとちょっと違うかもしれないんですけど。
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三浦 | うん。
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橋本 | 今回、肉体の負荷だけじゃなくて、記憶や情報を取り扱ってるので、情報量をあげていって、舞台を創作していくのが好きで。だから、えっとつまり、人は情報の蓄積で病気になれるかっていう。
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三浦 | うんうん。あー、病気いいね。
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橋本 | 全然舞台上で動いてないんだけど、見るからにその人の顔色がどんどん悪くなっていく。まぁ、デリケートなものだと思うんですけど。
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三浦 | だから、あの、救急車で友達が運ばれてる時にね、俺それに一緒に乗ってたんだけど。一瞬友達が倒れて、すぐに意識は戻ったんだけど、気持ち悪そうだったから救急車呼んだんだけど。「こいつもしかしたら、完全にリカバーしてて、復活して元気になってるかもしれない」って思って。けど、救急車呼ばれた手前、こいつは元気に振舞えないから、だからこいつは「俺、いま、しんどい状態です」っていう演技をしているかもしれないとか、救急車に乗りながら思ってて。こいつ今本当に大変なことになってるのか、大変になってます感を出してるのか、どっちなんだろうって見てて思ったりしたから。だから、すごい楽しみだね。うん。あー、いいね。面白そう。 |
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橋本 | では、ここでお客様の中で何か質問のある方がいらっしゃれば。
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今回の「記憶に色をつける」っていうのは、凄く面白いなと思いました。前の『カシオ』を拝見したんですけど、それよりは記憶を脚色したり、いじってるなって。色をつけるっていうのは、ある意味なんでもできちゃうところがあるじゃないですか。その辺のさじ加減をどういう風にするのかなぁっていうのをお聞きしたいです。例えば、西田さんに好きな子がいて、その友達がいるっていうシーンが2回繰り返されていて、2回目にスズキさんが入ってきて、記憶が改竄されてるっていうところは、すごくはっきりと何かのスイッチが入ったなというのがあるんですけれど。例えばそこからの、どんどんいくらでも話しを繋げられちゃうじゃないですか。例えば三浦さんのやってる芝居なんかっていうのは、虚構の立ち上げ方とか物語の繋げ方みたいなものっていうのは、三浦くんの中で何かあると思うんですよね。その辺の作り方っていうのが橋本さんにあればお聞きしたいです。
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橋本 | 今回、とくにラストシーンは、本当に「なんでもできるな」って思って。色々なんでもリンクできるし、色んな方向に繋げていけるなと。なるべくどこまででも飛んでいこうっていう気持ちで、さじ加減もとりあえずしないで、稽古でも30分くらいほったらかしにして、ずっと後半のシーンを俳優たちにやらせてみて、いつ終わらせてもいいように作りだしたんですけど。うーん…。結構放置してたので、上演時間的にここで区切ったほうがいいかなーっていう事務的なことで区切った部分もあるかなーって。だから、あんまりそこで……うーん、さじ加減……。
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三浦 | 時間だからおしまいですっていう、ぐらいの?
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橋本 | そうですね。ぐらいの気持ちで最後に一気にエンディングにぐっと結びつけるっていう。あ、でも、ちょっと答えになってないですね。
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繋げていくっていうのは俳優さんのアイディアなのか、橋本さんのアイディアなのかどちらなんですか?
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橋本 | フォーマットとかルールは僕が予め決めておいて、繋げるタイミングとか内容とかは全て俳優たちが即興でやったものを、僕がまとめたりしてます。
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三浦 | 西部劇調になったところからはどうなってるの?それまではパターンがあるじゃん、役者さんが言ったら変わっていくっていう。
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橋本 | えっと、西部劇からは「生きてるか死んでるか」っていうのをやりたくて。一体人はいつ死ぬんだとか。そっちにもっていきたくて、ルールは変わりましたね。
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三浦 | たぶん俺だったらね、俺観ながら途中でどうなっていくのかなって考えて、どんどん捻じ曲がった最後に、あの男の子と女の子がくっつきましたっていうエンディングになるのかなって思ってたんだけど。でも、西部劇あたりから「あ、これは違う」ってなって。西部劇よかったな。
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橋本 | ありがとうございます。
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三浦 | けど、ちょいちょいあの(西部劇の)テイストになってたよね。冒頭もさ。探偵だけど。
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橋本 | そうですね。
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三浦 | あれはきっと役者にそういうのが好きな人がいるっていうので、ああいうバランスに?
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橋本 | はい。あと、弾が飛んだり、そういう飛ぶものを使ったり、スローモーションになったり、そういうものが許されて見えるのが面白くて。人は完全に止まれないけど、止まろうとするとどうなるかっていう。
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三浦 | うん。
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橋本 | あ、そろそろ時間ですね。では、今日はありがとうございました。
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三浦 | ありがとうございました。
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